2011年6月29日水曜日

空の思想[大乗仏教(6)]

大乗仏教の重要な思想に、空観(空の思想)がある。大乗仏教の中論などの論書では、「空」を知れば、それだけで解脱するというようにも捉えられる書き方がなされている。「空」を知ることが解脱である、というように書かれた経典も存在する。

しかし「空」の解説書(論書)である「中論」を読んでも、「空」が体得できたという人を聞いたことがない。「空」の思想だけで解脱できるならば、いてもよいはずである。
「空」を理解すれば解脱できるのであれば、「中論」を読んで解脱したという人が続々と現れているはずである。しかし「空」を理解して、解脱した人というのを、ほとんど聞いたことがない。ということは、空の思想を知ることは、解脱とは関係がないということになる。


仏教でいう「空」とは「無」のことではない。よく誤解している人を見かけるのだが、「空」とは、何もない、何も存在しない、という意味ではない。
瞑想など行っている人が、瞑想の中で何もないという境地を体験をしたので、仏教の「空」を体得したと勘違いしている人すら見かけることがある。その人は空ではなく、何もないと感じる境地を体験したに過ぎない。
「空」とは何もないということではなく、この世界は存在はしているのだが、常住不変な世界ではない、常に縁によって移り変わっていく世界である、というような意味である。
常住不変なもの(変化しないもの)は、この世の中に何も存在しない。すべてのものが変化し、移り変わっていく。それがこの世界である。


仏陀は直接的には、「空」の思想を説いてはない。では、この空観はどこからきた思想であろうか。
「空」の思想は、縁起の法を、別の観点から敷衍したものなのである。ブッダはこの変化していくさまを、縁によって移り変わっていくから、縁起と呼んだのである。
「空」の思想は、縁起の法からきている。縁起の法を別の観点から見れば、「空」と見ることもできるのである。
だから、この縁起の法の体得は、論書の研究ではなく、四念処を修し体得すべきものなのである。
いくら「中論」を研究しても、「空」を体得して解脱するということは不可能である。

2011年6月27日月曜日

六波羅蜜との関係(2)[大乗仏教(5)]

六波羅蜜でも、三学と同じように考えることができる。
六波羅蜜の最初の4つは、すべて四正断に関係しているといえる。


1.布施波羅蜜
2.持戒波羅蜜
3.忍辱波羅蜜
4.精進波羅蜜
・四正断
・五根五力では、「精進根・精進力」。
・七覚支では、「精進覚支、喜覚支、軽安覚支」。
・八正道では、「正精進、正語、正業、正命、正思惟」

5.禅定波羅蜜
・四如意足
・五根五力では、「定根・定力」、
・七覚支では、「定覚支」
・八正道では、「正定」

6.智慧波羅蜜
・四念処
・五根五力では、「慧根・慧力」、「念根・念力」、「信根・信力」
・七覚支では、「念覚支、択法覚支、捨覚支」
・八正道では、「正念、正見」

2011年6月25日土曜日

六波羅蜜との関係(1)[大乗仏教(4)]

大乗仏教で六波羅蜜(六度の行)とは、基本的に在家が行う6つの実践徳目のことである。


1.布施波羅蜜
分け与える。財施・無畏施・法施等である。

2.持戒波羅蜜
戒律を守る。在家の場合は五戒が基本である。

3.忍辱波羅蜜
慈悲の心で耐え忍ぶ。怒りを捨てる。
耐え忍ぶといっても、単に耐え忍ぶだけでよいのか。

4.精進波羅蜜
努力すること。
ただ仏道を精進する、頑張るといわれても、具体的には何をしたらよいのか、よくわからない。

5.禅定波羅蜜
心を集中して安定させる。四禅・四無色定。
どういう瞑想であろうか。

6.智慧波羅蜜
物事をありのままに観察することによって、智慧を得る。
智慧を得るために、どのように観察するのか、あまり述べられていない。


六波羅蜜の行により、修行者は徳を蓄積し、遠い未来生において、悟りを得るという。
これでは、あまりに先のこと過ぎるきらいがある。これでは、今、努力する気が起きるのであろうか。六波羅蜜は、総じて具体的には何をしたらよいのか、よくわからないものが多いという感じを受ける。
六波羅蜜には、在家への布施の強調があるようにも思える。六波羅蜜としてまとめることで、在家でもしやすくしたのであろう。布施、忍辱も大切ではあろうが、それのみを取り出しては、七科のなかで述べられていない。
六波羅蜜では、禅定のみが座禅のような修行だなということが分るが、他の項目の修行内容があいまいであるか不明であり、実行が難しいといえる。
内容的には、在家に対して、布施に重きを置いた行が六波羅蜜の行となっている。六波羅蜜の内容は、仏教教団への喜捨を勧めるためではないかと勘ぐられてても仕方のない内容である。

2011年6月23日木曜日

三学との関係(3)[大乗仏教(3)]

つまるところ、大乗仏教の三学「戒・定・慧」は、初期仏教の修行項目を簡略化したものである。
七科の修行を三学に対応するよう、一応当てはめてみた。
相互に関係したもの、分類しにくいものもあり、別の説も立てられるであろう。


1.戒
・四正断
・五根五力では、「精進根・精進力」。
・七覚支では、「精進覚支、喜覚支、軽安覚支」。
・八正道では、「正精進、正語、正業、正命、正思惟」


2.定
・四如意足
・五根五力では、「定根・定力」、
・七覚支では、「定覚支」
・八正道では、「正定」


3.慧
・四念処
・五根五力では、「慧根・慧力」、「念根・念力」、「信根・信力」
・七覚支では、「念覚支、択法覚支、捨覚支」
・八正道では、「正念、正見」


「戒・定・慧」と一言で言ってしまうと、少ないので分かりやすく思える反面、具体的な内容はかえって分かりにくいといえる。
三学では具体的な内容がよくわからない、というのが実情であろう。三学としてまとめると、3つだけなので覚えやすい。しかし具体的に何をしたらよいのか、分かりにくくなってもいるのである。


修行体系をまとめた全体的修行科目である、五根五力、七覚支、八正道のなかでは、五根五力が一番シンプルである。
五根五力のみに、「慧根・慧力」という智慧を表す科目がある。
五根五力は、三学との対応関係がよいともいえる。
「慧根・慧力」は「精進根・精進力」、「念根・念力」、「定根・定力」により得られた智慧を指している。
四諦、縁起の法の理解には教学だけではなく、他の修行により得られた智慧により、より深く理解できるのであり、潜在意識の中まで体得できるといえる。

2011年6月21日火曜日

三学との関係(2)[大乗仏教(2)]

三学は、どこからでてきたものであろうか。
初期仏教の修行科目との関連をみてみよう。


1.戒
戒はしてはいけない規則をまとめた、何となく縛られるような、嫌な気がする規則というだけのものではない。
解脱の妨げとなる行為と、解脱の助けとなる行為をまとめたものである。これは四正断を別の観点からみたことで、実質的に同じものを目指している。
こういう意味で、戒には禁戒と勧戒とがある。

① 禁戒
するべきでないこと。しないほうが良いこと。(解脱するための妨げとなること)

② 勧戒
するべきこと。したほうが良いこと。(解脱するための助けとなること)


2.定
定は禅定であり、四如意足と関係が深い。


3.慧
四諦、縁起の法は、まず経典から教学として学ぶことはできる。しかし、それを学んだだけでは、「慧」にはならない。
四念処を行い、観察する瞑想によって、四諦、縁起の法を深く理解することができる。


つまり初期仏教をもとに、修行体系を簡略化し、まとめなおしたと見ることもできる。

2011年6月19日日曜日

三学との関係(1)[大乗仏教(1)]

ここで、阿含経での修行内容と大乗仏教の関係についても若干、考察を加える。
大乗仏教で大切にされている三学「戒・定・慧」というものがある。この三学を修めることが、大乗の修行であるともいう。


1.戒
「戒」はいろいろあるが、基本的にするべきでないことをまとめたものである。
三蔵のなかの律蔵が、これに当たる。

2.定
「定」とは禅定である。具体的な方法はいろいろあるであろうが、とにかく禅定とだけある。
禅定の方法があいまいであり、座禅だけでよいのか、他のものもあるのか不明である。

3.慧
「慧」とは何か。これが一番分かりにくいのではなかろうか。
智慧とは何であろうか。智慧を獲得するためには、何をしたらよいのであろうか。
経典の教学を学ぶことも含まれよう。が、それだけで「慧」の獲得となるのであろうか。
四諦、縁起の法といっても、それを学んだだけで「慧」になったような気はしないし、解脱もできないではないか。
また、禅定が深まれば自動的に「慧」が獲得できるのであろうか。禅定が深まり、三昧となったときに得られるものであろうか。
しかし仏教では、三昧を体験したから解脱とはいっていない。三昧で智慧が獲得できるというわけでもなさそうである。

2011年6月17日金曜日

大乗仏教との関係

大乗仏教での修行との関係性についても分析しておこう。
阿含経に説明されているニルヴァーナへと至る修行体系である、七科三十七道品を捨て去ってしまった大乗仏教において、本来の修行内容がどのように改変されているかをみてみよう。


○大乗仏教

1.三学との関係(1)
2.三学との関係(2)
3.三学との関係(3)
4.六波羅蜜との関係(1)
5.六波羅蜜との関係(2)
6.空の思想