2011年5月1日日曜日

ブッダが目指したもの(仏教の目的)

ブッダが目指したものは、何であろうか。仏教で修行の目的とは、何なのであろうか。

日本でのお寺参りによくあるような、何々如来様、何々観音様にお願いして、ご利益を頂くことであろうか。これは、単にご利益信仰というべきであり、もともとのブッダが目指したもの、仏教が目的とするところとはいえない。
総じて日本の仏教は、インドから中国を経て日本化された仏教であり、最初期の仏教とは、その目的も内容も、かなりかけ離れてしまっているといえる。

最初期の仏教の目的は、ニルヴァーナ(涅槃)に到ることである。ニルヴァーナに入ることを、仏教では解脱ともいう。解脱とは、輪廻転生からの解放でもある。
インド思想では、人は輪廻転生を繰り返すという。仏教でもこの考えは取り入れられ、輪廻転生から解放されることを解脱と呼ぶ。解脱した人のことを、ブッダ(仏陀)と呼んでいる。
こういうことから、仏教とはニルヴァーナへ到ることを目指し、ブッダへと到る道である、ということができる。

付け加えるならば、ここでいうニルヴァーナ(涅槃)とは、死ぬことではない。仏教の目指す最高の境地のことを指している。
誤解を生みやすい涅槃という言葉を使わず、最高の境地をなるべくニルヴァーナと呼ぶことにしたい。
ブッダは、ニルヴァーナについての詳しい説明はせず、実際に修行して体験するべきものとして、ただ例えを述べているだけである。そのため後世、ニルヴァーナついて、さまざまに解釈される余地が残った。

ニルヴァーナへと到った者は、ブッダ(仏陀)と呼ばれる。ブッダ(仏陀)とは、もともとは固有名詞ではなく、悟った人(覚者)という意味である。
普通は、仏教の開祖であるゴータマ・シッダルタのことを、ブッダ(仏陀)と呼んでいる。
ゴータマ・シッダルタは、シャカ(釈迦)族の王族の出身であるので、お釈迦様とも呼ぶ。
さらに釈迦牟尼(シャカムニ)と呼ばれることもある。ムニ(牟尼)とは聖者のことであるので、釈迦牟尼とは、シャカ族の聖者という意味である。
歴史上のブッダの称号には、この他にもいろいろあるのだが、あまりに煩雑なので、別の機会があれば説明することにしたい。


ここでは歴史上の実在の人物として、仏教の開祖であるゴータマ・シッダルタのことを、ブッダと呼ぶことにしよう。

ブッダが説いたことで、一番重要なことは、ニルヴァーナへ到る方法である。何しろ仏教の目的が、ニルヴァーナへ到ることであるのだから。
では、ブッダが説いたニルヴァーナへと到る修行過程とは、どのようなものであるのか。どのように修行すれば、ニルヴァーナへ到り、仏陀(覚者)となることができるのか。
実はこのニルヴァーナへと到る修行過程は、最初期の仏教経典である阿含経にしか説かれていないのである。

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