2011年5月8日日曜日

四向四果(解脱への階梯)[仏教の基礎知識(6)]

仏教における解脱へ向けた修行の階梯についても説明しておこう。仏教での修行の階梯が、どのように考えられていたかがよくわかる。
四向四果(しこうしか)とは、もともとの仏教(上座部仏教)における修行の段階を表す階位である。
「四向」の「向」とは、修行の目標に向かっている段階を指し、「四果」の「果」とは、修行の結果として到達した境地を示す。「向」と「果」の名称が同じであり、八種の段階が区別されている。


○聖者の四段階(四果)
仏教では、修行の結果として到達する四段階の結果(果)が存在する。

1.預流(よる、須陀洹:しゅだおん)
聖者の流れに入った者のことで、今生を終わった後に、最大7回まで、欲界の人と天の間を生れかわり、その後、ニルヴァーナに入る。
須陀洹とも、預流(聖者の流れに入った者)とも呼ばれる。

2.一来(いちらい、斯陀含:しだごん)
今生を終わった後、1回だけ、欲界の人と天の間を往来して、ニルヴァーナに入る。
斯陀含とも、一来(一度だけ戻って来る者)とも呼ぶ。

3.不還(ふげん、阿那含:あなごん)
今生を終わった後、欲界には再び戻ってこず、色界へと登り、色界の生を終わると同時に、そこからニルヴァーナに入る。欲界には生まれ変わらないが、今生の終わりでは、まだニルヴァーナには至っていない。
阿那含とも、不還(二度と戻らない者)とも呼ぶ。

4.応供(おうぐ、阿羅漢:あらかん)
今生の終りと同時に、ニルヴァーナに入る。今生でニルヴァーナに至り、再び生まれ変わることのない者である。
阿羅漢とも、応供(供養を受けるにふさわしい者)とも呼ばれる。


○四向四果(四双八輩)
修行の結果として到達した四段階(果)に加えて、各々に向かう段階(向)を考えて、四向四果となる。四向四果とも、四双八輩(しそうはっぱい)とも呼ぶ。

1.預流向(よるこう)
須陀洹(預流)へと向かっている者。

2.預流果(よるか)
須陀洹(預流)となった者。

3.一来向(いちらいこう)
須陀洹(預流)から、斯陀含(一来)へと向かっている者。

4.一来果(いちらいか)
斯陀含(一来)となった者。

5.不還向(ふげんこう)
斯陀含(一来)から、阿那含(不還)へと向かっている者。

6.不還果(ふげんか)
阿那含(不還)となった者。

7.応供向(おうぐこう)、または阿羅漢向(あらかんこう)
阿那含(不還)から、阿羅漢(応供)へと向かっている者。

8.応供果(おうぐか)、または阿羅漢果(あらかんか)
阿羅漢(応供)となった者。

そこへ到る途中の段階を加えて、4つの修行段階から、8つの修行段階へと拡張されたわけである。
阿羅漢(応供)となった者は、ブッダ(覚者)である。阿羅漢(応供)は、死後、最高の段階であるニルヴァーナへと到る。仏教の修行階梯では、阿羅漢が最上位である。阿羅漢に至ると、最終的にニルヴァーナに入り、ブッダとなる。
このことから、仏教は最終的には、阿羅漢(応供)となることを目指すものである。阿羅漢(応供)となる方法体系が、仏教の修行体系ということになる。

2 件のコメント:

  1. 言っていいかどうかわかりませんが。
    5歳まで、須陀洹でした。
    今生でニルヴァーナに入った者です。
    イスラエルーバビロニアーインドー北宋ー高麗ー日本に二回生まれて、
    を経て。
    そうして、在りて在るものとなりました。
    そうして、下っていき、阿羅漢になりました。
    また、下りと、続けていきました。
    恐らくまた、須陀洹になったのでしょうか?
    それは、わかりません。

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    1. 五千年前から続く
      輪廻解脱の法を紹介出来ます。連絡ください。

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