2011年5月3日火曜日

縁起の法(仏教の世界観)[仏教の基礎知識(1)]

縁起の法は、仏教の根本的な教説である。仏教における縁起は、仏教の根幹をなす思想の一つである。
縁起の法は、ブッダが自身の悟りの内容を、分りやすく表現しようとしたものとされている。この縁起の法は、「縁起を見る者は法を見る、法を見るものはわたしを見る」ともいわれる根本的な説である。

ここでいう「縁起」とは、縁によってて起こることを意味する。縁によってとは、条件によってという意味であり、現象あるいは存在の相互依存関係を表している。
縁起の語は、「因縁生起」の略からきている。「因」とそのは原因のことであり、「縁」とはその生じる条件のことである。
世界の一切は、直接にも間接にも、何らかのかたちで、それぞれ関わり合って生滅変化しているという考え方を指している。

「わたしの悟った縁起の法は、深甚微妙であり、一般の人の知りがたく、悟りがたいものである。」

縁起の法は、ブッダによって説かれた思想ではあるが、「この法則は、如来(ブッダ)が世に出ても出なくても、それに関係なく、法として定まり決定しているもの」とされる。つまり縁起の法は、すでに法則として、この世界に存在している法則自体であるということである。

縁起の法の基本となる考え方は、次の文章で示される。

これあればかれあり、
これ生ずるが故にかれ生ず。
これなければかれなし、
これ滅するが故にかれ滅す。


最初、この文章を読んだときには、当たり前のことすぎるようにも思え、これにどんな重要な意味があるのか、なかなか理解に苦しんだ。
しかし「これあればかれあり」とは、「苦」の存在する理由、「これ滅するが故にかれ滅す」とは、「苦」を滅する「道」が存在することを示している。
縁起の法があるからこそ、「苦」を「滅」する「道」であるニルヴァーナへと到る修行体系が生まれるのである。「これ滅するが故にかれ滅す」により、ニルヴァーナへと到り、解脱する方法がある。

縁起は、「これあればかれあり」「これなければかれなし」という二つの定理によって、簡潔に述べられうる。後者の「これなければかれなし」は、前者の「これあればかれあり」を証明し、補完するものである。
具体的な例としては、「生がある時、老いと死がある」「生がない時、老いと死がない」の二つがあげられる。なぜなら、生まれることがなければ、老いることも死ぬこともないからである。

縁起の法から、次の四諦(四つの真理)と呼ばれる思想が生まれる。

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